メディアアートの出現と、旧メディアの可能性
メディアアートという新しいメディアの可能性に沿ってふたつの作品を取り上げ、比較したい。ひとつは東京都現代美術館コレクション・ビカミング展にて展示された山川冬樹の映像インスタレーション〈The Voice-over〉。亡父の遺した膨大なカセットテープやヴィデオテープをもとにした映像を、スクリーンやブラウン管テレビに配して上映する作品である。「記録と記憶」と題された最終章に展示された。
もうひとつの作品はトーキョーワンダーサイト本郷の第8回展覧会企画公募にて発表された作品である。企画者の田中沙季と三上亮による映像インスタレーション〈Find Default and Rename It –幻談-〉。大きなついたてによって区切られた空間をリビング・廊下・書斎に見立て、鑑賞者が順々に歩き回る。初めの通過地点であるリビングのブラウン管テレビでは上映時間30分程の映像が流されており、ソファーに座って観賞する。
このふたつの作品を同時に語ろうとすることには理由がある。 “ブラウン管テレビ”という旧メディアの共通性、そしてどちらの作品も身体の“不在”、記憶の“存在”、メディアアートという新しい表現方法だからこそ辿り着けた新奇な感覚について取り上げた作品なのである。
山川冬樹の作品は、1972年の結婚式から1988年の葬式まで、家族の情景を含む父の私的な人生と、ニュースキャスターとしてテレビ等を通じて社会情勢を伝え続けた公的な姿とが、“記録”として、その声音や様々な音、映像と共に、半円状に設置された大小様々のブラウン管テレビとスクリーンに流されるといったものである。会場は非常に暗く、椅子は無い。我々観賞者は壁づたいに歩いてちょうどよい場所を見つけ、そこにぺたんと座る。ぼうっと光を発するブラウン管テレビを囲んで映像を観賞していると、誰か(それは山川冬樹であり彼の父でもあり、そして観賞者の誰かでも、自分でもある)の記憶の中を浮遊しているような感覚に陥る。テレビに映された映像は確かに記録であるが、作品として我々が体感するとき、記録は個々人と共鳴して“記憶”へと変化するように感じられ、また、そこでブラウン管テレビの発する効果も大きい。昭和的なノスタルジーを感じさせるだけではなく、“確かに誰かがそこにいて、チャンネルを回して、画面を見つめていた”という感覚を覚えるのだ。しかし辺りを見渡せば自分と同様に座り尽くす鑑賞者しかおらず、ただただ“不在”が実感される。記録の中の亡父は“不在”であるが、まったくの他人である鑑賞者は“存在”している、なにか矛盾のようなものも感じつつ、タイムスリップのようにブラウン管の光が小さく収束し、作品は終わる。
前者は実父の記録であるが、後者はフィクションの家族についての作品である。“不在”になってしまった母との、家との記憶が、家族との会話、映像によって現れる。まさに「現れる」と言うべき演出なのだ。鑑賞者はひとつめの空間で、ごく一般的な、最大公約数的に再現されたリビングでソファーに座り、目の前のブラウン管テレビを見つめることになる。と、流れてくる母と父の会話に呼応して室内のランプが付き、足音が聞こえ、ピアノが弾かれる。「おやすみ」という父の声に合わせてリビングの電気は消える。“不在”というより、まるで幽霊である。というのもこちらの作品に添えられた言葉は“これは語られなかった家と幽霊のお話です。”であり、観賞している我々は、他人の家のリビングで、見ず知らずの家族の幽霊たちが動き回り会話しているような、そんな錯覚を体験する。
この作品の主題でもある「フィクションの物語り方」という部分において、作品内で再現される“記憶”は完全なるフィクションである。鑑賞者がどこか複数点で個々の記憶を引き出され、現実感を感じるものの、幽霊のような登場人物たちはどこか薄っぺらだ。サブタイトルの〈-幻談-〉はまさにその通りで、幻のような一家の記憶なのである。この作品でもブラウン管テレビは象徴的な役割を示しており、この一家が「昭和・平成初期にかけての一家」であること、ブラウン管テレビの中のドラマのような薄さを演出している。
作品内で語られる者の身体が“不在”の時、不在者の身体性は、第三者でありつつも作品空間に存在する鑑賞者である我々に「降りて」くるように思う。イタコのようにも捉えられるが、“記憶”が引き起こす連鎖的一体感のような、そんな感覚であるのかもしれない。また、ブラウン管テレビというメディアは記憶の過去性を高め、ぼんやりした現実感を増させる。(そういった点で考えていくと、ブラウン管テレビに馴染みの無い年代が作品を観賞した際にはどういった記憶が引き出されるのか、疑問はある。薄型液晶テレビで放送されていた懐古番組の一部に見た、というような二次情報的記憶だろうか。)
ふたつの作品を通して、メディアアートによって身体を語る、というこれまでに存在しえなかった作品形態について考察することができた。私は個人的に上記ふたつのような映像インスタレーションが好みである。中でもこのふたつは、非常に繊細な演出と効果的な空間設定がマッチした素晴らしい作品だった。観賞、よりかは体験、体感、といった言葉が相応しいだろう。
深く細部まで読み解くまでの考察力はまだまだ足りないが、今後もこうして作品を読み解いていきたい。
参考作品
「開館20周年記念MOTコレクション特別企画 コレクション・ビカミング」
東京都現代美術館 2015.1.24~6.28
―山川冬樹〈The Voice-over〉1997-2008 映像35分、コンピューター、ビデオ・プロジェクター、旧型テレビ、旧型ラジオ他
「第8回企画展公募」トーキョーワンダーサイト本郷 2015.2.28~3.29
―田中沙季、三上亮〈Find Default and Rename It –幻談-〉 2015 映像インスタレーション、ミクストメディア 上映時間30分
21_21 DESIGN SIGHT「活動のデザイン」
21_21 DESIGN SIGHT「活動のデザイン」
クリティカル・デザインという言葉をご存知だろうか。社会を俯瞰し、新しいまなざしを向けて問題解決の糸口を発見する、極めてソーシャルなデザインを指す言葉である。今回21_21 DESIGN SIGHTで行われた「活動のデザイン」展は、“活動”(プロジェクト)という形態にフォーカスした、クリティカル・デザインに関連する展示だ。また、そうして思い出すのは、2013年に東京都現代美術館で行われた「東京アートミーテイング第4回 うさぎスマッシュ 世界に触れるアートとデザイン」展だろう。こちらはより“アート”にフォーカスしており、作品・作家性、思想性が強い。ちなみに共通して出展している作家は牛込陽介氏である。
「活動のデザイン」展は、社会的な問題や日常におけるひっかかりを、スマートかつユニークに、堅苦しくなく読み解くプロジェクトを紹介している。フライヤー全面に載っているDNA Charlois&クリスティン・メンデルツマの活動は、81歳のロースさんという女性が、60年間編み続けては屋根裏に放り込んでいた500枚以上のセーターを記録するというもの。その行為をたたえて、セーターを着たフラッシュモブによるパフォーマンスも行った。ところでこのプロジェクト、ヘンリー・ダーガーを思い起こさないだろうか?小さな教会の清掃夫であったヘンリー・ダーガーは、孤独に執筆した15000ページにも及ぶ超巨篇小説挿絵付きを死後発見され、結果的にその名前はアウトサイダーアーティストとして定着した。ダーガーの出来事は、彼の社会との関わりの薄さ、コミュニケーションに関する問題が大きく、隣人ですら彼の創作を知らなかった。生活の中に隠れたアーティストを見つけ出し、その行為を応援することは、社会との新しいつながりの提案であり、また双方にとっていい影響を与える面が大きいだろう(もちろん与えない場合もある)。
クリティカル・デザインという分野に関連する展覧会の特徴は、作品を理解するのに特別な知識が必要ない、ということである。美術史や、芸術作品の価値、思想に関する事前知識はほとんどいらない。どの作品も、社会的な問題に対して非常に具体的かつ真摯に、デザインによる解決を図っている。よほど世界や社会に関心のない人間でない限り作品の背景事情―つまりは社会背景を知っている。だから老若男女すべてに親しみやすく、個人がピンとくる作品も見つかりやすいのだ。デザインミュージアムのない日本で、これらのようなデザインに関連する展覧会が行われることは決して多くはない。だがこうして確実に増えている。クリティカル・デザインはテクノロジーと発想に支えられている分野であるが、だからこそ、美術分野に限定せずひとびとの心を捉えることができるのだろう。
武蔵野美術大学美術館「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」
武蔵野美術大学美術館「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」
人間、もとい動物にとって“顔”とは、自身の感情を表すことに最も長けた部分のひとつである。喜び、楽しみ、怒り、悲しみ、苦しみ。感情の多くは、否応無く顔に表される。どんなに隠そうとしても、嬉しさで口元がほころんでしまうように。そしてどんなに我慢しようと、悲しみや怒りが顔に滲み出てしまうように。
「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」展は、ポーランド派とも呼ばれるポーランドポスターを“フェイス”“マスク”をテーマに構成した展覧会である。第二次世界大戦さなか、ソ連に侵攻され社会主義圏として機能することを強いられたポーランドにおいて、政治や社会への不満、不安はおおっぴらに噴出させてはならないものだった。抑圧される生活の中で市民の感情は自己の意識へと向かい、他国家と自国、他者と自身へとまなざしが注がれるようになる。従って人間のそのものの内側と外側を表現する手段として“顔”が選ばれたのは、自然な流れであったかもしれない。ポーランドポスターにおける顔――“フェイス”“マスク”は、静かな感情の爆発なのだ。そして、ポスターにおいて驚くべきは、描かれているかたちである。異形の者と称されるような、普通の人間ではない顔のかたち、眼、鼻、口、輪郭、表情。その姿は近年の洋画に登場するクリーチャーを彷彿とさせる。きっと彼らはもとから異形だったわけではない。閉鎖されたポーランドの実情が、彼らを、市民を、異形の代弁者として叫ばせたのである。
ただ、そういった主張をポスターの顔から正確に掴むことは難しい。声高に主張することが不可能であり、表現をあまりにも明確に読み取れてしまうことは問題であったからだ。鑑賞する個人個人が異形の叫びをどう捉えるか。顔たちと、どうコミュニケーションをとるのか。作家の意図はそこにある。インパクトの強いポスターは街頭で目を引く。ポーランドの市民たちはいつのまにか異形のポスターと対話し、自己の中に潜めていた感情と向き合うことになるのである。政治的な演説やプロパガンダよりも静かに、ひとりひとりを巻き込んでいく。広告の皮を被ったカウンターカルチャーとしてのポスターがそこにあった。
また、本展覧会はシュールレアリスムの系譜としても一見の価値のある展示である。作品背景を抜きに、ポスターではなく絵画として鑑賞するのもまた一興。図版やフライヤーで見るより、圧倒的な迫力と威圧感をもって鑑賞者に迫ってくるだろう。その迫力こそ、ポーランドの社会背景が生み出した異形の産物なのである。
日本SF展@世田谷文学館
日本SF展 世田谷文学館
大人にとっても子供にとっても、そしていつの時代も、サイエンスフィクションは心を掴んで離さない永遠のあこがれだ。宇宙、未知の生命体、ロボット、超能力、怪獣、タイムトラベル。これらのワードにときめきを感じないだろうか?少年時代にめくった懐かしい本の記憶を、大人になったいまも単行本が出る度に買い続けているスペースオペラを、すこしふしぎな漫画を、思い浮かべはしないだろうか?世田谷文学館で行われた日本SF展は、そんなわくわくどきどきを存分に体感させてくれる展覧会だった。
ところでわたしたち平成生まれの人間にとって、昨今の“エイティーズリバイバル”とも呼ばれる80年代若者文化の復興は、悔しくもありうらやましくもある現象だ。昨日最終話を迎えた「アオイホノオ」はその代表的な例で、雑誌アイデアの365号においても、イラストレーションにおけるエイティーズリバイバルが特集された。2000年代から享受し続けている漫画・アニメ文化の発展の土台がいかに豊潤であったか、思い知らされるばかりである。SFにおいてもそれは同じで、SFの黎明と称されるここ数年の作品の源流を遡ってみると最盛はエイティーズ――80年代にある。だが80年代文化の土台はどこで形成されたのか。その答えの一端が日本SF展なのだ。筒井康隆、小松左京、海野十三、星新一、手塚治虫、円谷英二…。そうそうたるメンバーの創作の軌跡は、日本文化の盛栄の歴史ともいえる。日本SF学会が発足した際の資料に歴史の胎動を感じたり、先生のおちゃめなエピソードにニヤリとしたり。手書き原稿や走り書きのメモは、小さい文字に目をこらしてついつい読み込んでしまう。中でも星新一のメモ文字の小ささたるや、wordのフォントサイズでいうなら8、しかも行間0の癖文字でびっしり。その極まった世界に、SF心は興奮が覚めやらないのである。展覧会図録も、よいこの科学絵本をパロディしたつくりでとても凝っている。手元に置いておきたくなるような一冊だ。
日本SF展は“復習”、つまり源流を遡り根幹を確かめる展覧会だ。すべてのジャンルにおいて膨大なアーカイヴが存在する21世紀では、復習という行為すら難しい。体系化されていないもの、記録不可能だったものはもはや伝えられることすら困難だ。だがSFにはたくさんの支持者とアーカイヴ者がいた。それが80年代に若者だったひとびとである。一度は“死んだ”とまで言われたSFが生き返ったのは彼らの尽力もあってのことだろう。
これまでのSFも、これからのSFも、手を取り合って互いに世界を広げていってほしい。それが、少年少女(だった者)たちの願いなのである。
えぶりばでぃせい!がらくた!
さぁさぁ今夜もがらくたナイト!
いざ書き出してみると貰い物やお土産が多くて、がらくたって言い切るのも悪い気がしてきたけれど、あんまり考えないようにしていくぜ!
食玩のミニチュア食器シリーズにおまけポジションでついてきた小鳥。
食器はリストラされ、なぜか小鳥だけが生き残っている。
ゲジ眉が特徴的。え、眉毛じゃない?聞こえませんなぁ。
小学生の頃に親友とお揃いで買ってもらった液体糊。
かわいいかわいいと思いつつ一回も使っていない。そろそろ寿命だと思う。
トラック型のPEZケース。
PEZケースを、昔、母親がコレクションしていたのだ。
これは、そのコレクションを売却する時に選んで残したひとつだと思う。キャラクターものも多い中からトラックPEZを選んだ自分に、ナイス!と声をかけてやりたい。
でももっと言えばコレクションは全部とっておいてほしかったなぁ。
押しながら引いたら発車しそうなのにしない、微妙なアンチクショウ。
友人からお土産にもらったダイオウグソクムシ。
ちっちゃくてかわええ。お手玉を彷彿とさせる触り心地である。
ジェリービーンズと見せかけて、ビーンズモチーフのビーズ。
ボールチェーンを通せばストラップにできるんだと思われる。
どうやって手に入れたのか全く記憶に無い。
父がお土産にくれたキーリング。
普段は棚の奥底にしまわれています。またしまいます。
お、今日の夕飯はシメサバだ。じゃ。
おもちゃ大統領
散らばっているがらくた共を集結させるのは一苦労ですね。
どいつもこいつも棚や隙間でひっそりしていやがる。
などと考えつつ、小さいがらくたがまだまだ続きます。
タイトルに深い意味はありません。
誰かから送られてきた年賀状に付属してきた謎のヌンチャク。
人形にもたせて遊ぼうと思いつつ、その願いは実現していない。
figmaとかちょうどいいんじゃないでしょうか。持ってないけど。
小学生の頃、ミニチュアサイズの招き猫が自分の中で一瞬だけブームだった。その名残。
おっとり顔はいいものだ。小さい猫は二匹いたのだが、一匹見つからなかった。悲しい。
これは最近もらった。座布団がふかふかである。
くりくりのおめめ。
トイ・ストーリーの双眼鏡くん。名前は失念した。
個人的には異形頭と同じカテゴリーに属している。
こんなの絶対いらないのに買っちゃうんだよなぁ。
確かフランフランあたりで購入したミルク入れ。一回も使用したこと無し。
コイン乗りシリーズ。
用途がまったく分からない。財布に入れると幸せになったりするのか?
カエルにハマっていた頃に、どうぶつの森はいっさいプレイしたことがないにも関わらず買ってしまった。
ジト目がキュート。
自らの心臓を捧げるカエル。
友人からお土産にもらった。
”2匹のアナゴ”だそうだ。閉じ込められてもなお笑顔が眩しい。
小学生の頃、親友と交換しあったもの。
お互いへのメッセージと鉱物を入れて、誕生日に渡した。
彼女には6年ぐらい会っていない。
幼少期、バレエを習い始めた際に母親がくれた。
ひっかけるところが壊れてしまったけれど、捨てられずにいる。
ゲロゲロゲロゲー。
寝ます。
ぎゃらくた
部屋にあるがらくたをまとめたい、と常々思っていたのでここで始めることにした。
小さいものからはじめてみた。
友人からお土産にもらったブースカキティ。
お祭りの屋台で売っていたらしい。私はなにかどうでもいい用事に阻まれて行くことができなかった。
実はめちゃくちゃ気に入っている。ブースカの虚無の表情とキティのにっこり具合が絶妙な雰囲気を醸し出している。
ミニチュアの駕篭。
バービーとかモモコにもたせて遊んでいた。
カートゥーンキャラクターだということは知っている。
名前は分からない。ムッチリかわいい。
朝ドラ「ちゅらさん」が放送していた頃に入手。
ゆるキャラのはしりだったんだろうなぁ。ドラマでの登場の仕方が押し付けがましくなくて好きだった。
三人組のゴーヤーマンだったはずが、いつの間にか赤ヘルが脱退していた様子。
(これ今見るとゲッターカラーだ。赤ヘルをなくしたことが惜しまれる。)
友人から誕生日にもらった。
どこの街なんだろう。
黒いパックマンは吉祥寺のおもちゃ屋で購入。
ねじをまわすとしゃかしゃかしゃかしゃかしゃか動いてうるさい。
オレンジのパックマンは友人からもらった。
いつのまにか網膜が剥がれてしまい、残念なことに。南無。
高校生の頃、所沢にある鉄道模型屋モデルドリームで買った。
このミニチュア感!最高である。
ロディが登場した頃、10年前か、原宿のキディランドあたりで買ってもらった。
とにかく水色が好きだったんだよなぁ、その頃は。
プレイモビールのねこ。
小学生の頃に三軒茶屋のフェスティバルで買ってもらった。
クレイねんどでできている。壊れたら直してくれるらしいので連絡先をとっておいている。10年近く経つが未だにご健在である。
プレッツェル&チーズは美味い。