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武蔵野美術大学美術館「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」

武蔵野美術大学美術館「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」

 

 人間、もとい動物にとって“顔”とは、自身の感情を表すことに最も長けた部分のひとつである。喜び、楽しみ、怒り、悲しみ、苦しみ。感情の多くは、否応無く顔に表される。どんなに隠そうとしても、嬉しさで口元がほころんでしまうように。そしてどんなに我慢しようと、悲しみや怒りが顔に滲み出てしまうように。

ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」展は、ポーランド派とも呼ばれるポーランドポスターを“フェイス”“マスク”をテーマに構成した展覧会である。第二次世界大戦さなか、ソ連に侵攻され社会主義圏として機能することを強いられたポーランドにおいて、政治や社会への不満、不安はおおっぴらに噴出させてはならないものだった。抑圧される生活の中で市民の感情は自己の意識へと向かい、他国家と自国、他者と自身へとまなざしが注がれるようになる。従って人間のそのものの内側と外側を表現する手段として“顔”が選ばれたのは、自然な流れであったかもしれない。ポーランドポスターにおける顔――“フェイス”“マスク”は、静かな感情の爆発なのだ。そして、ポスターにおいて驚くべきは、描かれているかたちである。異形の者と称されるような、普通の人間ではない顔のかたち、眼、鼻、口、輪郭、表情。その姿は近年の洋画に登場するクリーチャーを彷彿とさせる。きっと彼らはもとから異形だったわけではない。閉鎖されたポーランドの実情が、彼らを、市民を、異形の代弁者として叫ばせたのである。

 ただ、そういった主張をポスターの顔から正確に掴むことは難しい。声高に主張することが不可能であり、表現をあまりにも明確に読み取れてしまうことは問題であったからだ。鑑賞する個人個人が異形の叫びをどう捉えるか。顔たちと、どうコミュニケーションをとるのか。作家の意図はそこにある。インパクトの強いポスターは街頭で目を引く。ポーランドの市民たちはいつのまにか異形のポスターと対話し、自己の中に潜めていた感情と向き合うことになるのである。政治的な演説やプロパガンダよりも静かに、ひとりひとりを巻き込んでいく。広告の皮を被ったカウンターカルチャーとしてのポスターがそこにあった。

 また、本展覧会はシュールレアリスム系譜としても一見の価値のある展示である。作品背景を抜きに、ポスターではなく絵画として鑑賞するのもまた一興。図版やフライヤーで見るより、圧倒的な迫力と威圧感をもって鑑賞者に迫ってくるだろう。その迫力こそ、ポーランドの社会背景が生み出した異形の産物なのである。

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